東京五輪に想う

1964年10月の東京オリンピックから、今年で50年になるそうだ。
50年前と言えば、僕もまだまだ生まれていない時期だけれど、日本は戦後の高度成長期のまっただ中。
東海道新幹線に首都高、家電三種の神器、団塊世代、巨人大鵬卵焼き……。
この国の誰もが「明日は今日より良くなる」と信じ、そして実際にそうなった時代。

それから半世紀という月日が経ったわけだけれど、今なお、事実上日本の社会を動かしているのも、かつて東京オリンピックに熱狂し、高度成長期のサクセスストーリーに酔い痴れた世代だったりする。
2020年に控える「新・東京五輪」も、主にこういった層に非常にウケが良く、今や高度成長どころか衰退の途上にある我が国にあって、「オリンピックで国威発揚」という発想そのものが前時代的で滑稽に思える。

そうは言っても、決まってしまったものをぐだぐだ反対してもそれが覆るわけでもなし、そうであれば、いかに今度の東京オリンピックを、今の東京、そして日本の身の丈にあったものにしていくか考えることの方が、よほど生産的というものだ。
とりわけオリンピックともなれば、海外からたくさんのお客さまが見えるわけだから、今の東京が諸外国の都市と比べて立ち後れているところを是正していくというのはどうだろう。

例えば都内のどこへ行っても、パチンコ屋の派手なネオンや消費者金融が幅を利かせている駅前の一等地を何とかするとか、都市計画が皆無でケバケバしい色の建物や看板を、京都や軽井沢のように規制して美しい景観を保つよう努めるとか、自転車レーンもなく曲がりくねった狭く危険な道路を徹底的に整備するとか、やれることはいっぱいあるはずだ。

批判の多い新国立競技場に代表されるような新しいハコモノを作る前に、ここはひとつ「引き算の発想」で、世界に誇れる美しく住みよい都市を志向することの方が、むしろよっぽど大切なことなんじゃないかと思う今日この頃である。

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