年賀状の意義

日本では昔から年末年始に親しい人、お世話になった人と年賀状を交換する習慣があるけれど、昨今はインターネットの普及によって、いつでもどこでも誰とでも簡単に連絡を取り合えるようになってきたのだから年賀状は不要、という意見を耳にする。
自分も一時期そのように考えることもあったのだけれど、今では「インターネットの時代だからこそ年賀状が活きる」という見解に落ち着いている。
電子メールやSNSでは、きわめて低コストで人と人とがつながれるけれど、それはあくまで実際の人間関係を補完するものだ。
ネットで知り合った人同士が仲良くなるケースも場合によってはあるだろうけれど、やはり人付き合いの基本は「顔を合わせて話すこと」だと思う。
ただ例えば、パーティやイベントなどの集まりでの一期一会の出会いを、コンスタントな人間関係へと育むこともできるという点ではインターネットは素晴らしい恩恵を与えてくれる。
が、インターネット上でのコミュニケーションというのは、それがあまりに「低コスト」であるがゆえ、そこを流れるひとつひとつの言葉の重みが希薄になっているような気がする。
親しい人とは頻繁にやり取りできる一方、比較的そうではない人はとりあえずアドレス帳やSNSのフレンドに登録してあるだけで「いつでも連絡できるから」とついつい連絡を取らなくなってしまっている人も多いのではないだろうか。
ここで新年の挨拶を電子メールで……という向きもあるかもしれないけれど、個人的にはインターネットによる新年の挨拶にはちょっと否定的な気持ちがあって、それは前述の「ネットのコミュニケーションは気軽すぎる」点に集約されている。
新年に合わせて「あけましておめでとう!」とTwitterでみんな一斉につぶやいてみても、Twitterのインフラを無駄に逼迫させるだけで、一体誰に対してめでたい気持ちを表現したいのか甚だ疑問である。
一方従来の年賀状であれば、お金を出して年賀はがきを買って、宛名を書いて、裏面をデザインして、メッセージを添えて、そしてそれを期日までにポストに投函するという手間がかかる。
この、一見すると今のネット全盛の時代にばかばかしくすら思えてくる手間が、ネットではつながっているけれども普段会わなくなってしまった人、以前お世話になったけれど最近疎遠になってしまった人、さらには普段顔を合わせているけれども改めて感謝の気持ちを表したい人に対してさえ「ああ、この人は自分のことを気にかけてくれているんだな」という思いを抱かせることができる。
思うに、政府も企業も何もアテにできなくなってきつつある今の日本で、これから日本人ひとりひとりが唯一頼れるもの、それはまぎれもなく身近な人と人のつながり、家族、友達、同僚、恩師など、自分を知ってくれている人の存在、一言で言えば「絆」に尽きると思う。
ただネットで知り合った名前も知らないような知人(のようなもの)がいくらたくさんいてもナンセンス。それこそ年賀状を送りあえる関係の人々をいかに増やし維持するか、それが肝心なんじゃないだろうか。

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