iPadに思う

いよいよ今日4月3日、Appleのお膝元であるところの米国で、同社の新しいスレート型デバイス、iPadが発売になる。

1月のSteve JobsによるキーノートでiPadの全貌がはじめて明らかにされた当初、実は個人的には少し肩すかしというか、Jobsが言うように「魔法のような革新的なデバイス」とはいささか言い過ぎじゃないか、といったような第一印象を持った。
既に私が普段からiPhoneを気に入って肌身離さず持ち歩いているということもあるのだろうけれど、iPadの多くの部分はiPhone/iPod Touchを受け継いでおり、「iPad=巨大化したiPhone」に過ぎないと考えたのだろう。最初は妙に任天堂の「DSi XL」とダブって見えたものである。
AppleとしてはこのiPad、PCと携帯電話の中間に位置する「第3のカテゴリー」を意図しているとのこと。
確かに自宅でくつろぎながらWebや写真を見たり、新着メールをチェックしたり、はたまたゲームに興じたり、といった用途にPCはいささか仰々しいというか、その事務的なルックスからか少し構えてしまうし、特にテクノロジーに明るくない人たちにとっては、やれ周辺機器の接続だ、セキュリティアップデートだ、と肝心の目的にリーチするまでに煩わされることが多々ある。
なるほど、PCでワープロや表計算などのドキュメント作成をしたり、あるいは写真の編集や音楽制作などのクリエイティブワークに利用したり、といったことはせず、単にデジタルライフをカジュアルに楽しみたいような層にとって、iPadは魅力的に映るかもしれない。
が、iPhoneやiPod同様、iPadを使うにはPCが必須なのである。これは単にコンテンツをiTunesで管理しているというしがらみからくるものなのか、あるいはもっと深いポリシーがAppleにはあるのか、はたまた単にMacをたくさん売りたいだけ(笑)なのか、その辺りの事情はよくわからないけれど、このことから例えばPCに不慣れな(失礼!)実家の母親にiPadを奨めようとはあまり思わない。
ところがここ数日、色々とiPadに思いを馳せてみて、このまだ見ぬ未知のデバイスへの自分の中の評価が少しずつ変わってきた。
例えば自宅でWebサーフィンやメールチェックをするとき、やはり一番多いのはPCの前に座ってマウスを片手に、というスタイルだけれど、テレビを見ながら出演しているタレントのプロフィールを調べたり、あるいは床に就いても寝付けないときなどは、気がつけばiPhoneのスクリーンに指を滑らせている自分がいる。
思えば携帯電話がこれだけ市民権を得ている昨今、もはや人々はコンピュータやインターネットを、PCという文字通り「机の上(デスクトップ)」を超えて、場所やシチュエーションを問わず活用するライフスタイルを享受できることの便利さにすっかり慣れきってしまったのかもしれない。
そしてiPhoneは常に持ち歩いて、どこへでもWebや便利なアプリを連れ出せる画期的なデバイスだけれど、やはり携帯性に重きが置かれるため自宅で使うには画面が小さいな、と思えることが少なからずある。
ここまで思いを巡らせると、「あぁ、なるほど」といった感じにAppleの提案するiPadの利用シチュエーションに合点が行く。まさにデモムービーで紹介されているように、リビングでくつろぎコーヒーを飲みながら、それこそ新聞や雑誌をソファで広げる感覚で、肩肘張らずにWebや写真を楽しむスタイルが「iPad流」なのだろう。
少しだけ、iPadの目指すものが見えてきたような気がした。

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